情況証拠による事実認定

 被疑者・被告人の自白がなく、共犯者とされる人物や目撃者の証言もないような場合、証明すべき事実があるかないかを間接的に証明する証拠、すなわち情況証拠による事実認定が問題となります。刑事司法の大きな流れとしては、これまでの自白偏重を見直し、科学的証拠を重視した事実認定を重視する方向に動いているように感じます。

 この際、必ず理解しておかなければならない判決があります。大阪母子殺人事件判決(最高裁平成22年4月27日判決・刑集64巻3号233頁)です。この事件は、平成14年に大阪で発生した母子2人に対する殺人・放火事件です。被告人の自白がない中、情況証拠による有罪認定がなされ、第一審が無期懲役、控訴審は死刑でした。これに対し、最高裁は、次のような基準を示した上、控訴審判決はこの基準を満たさないとして、事件を第一審に差し戻しました(その後、差戻しの第一審で無罪となり、現在も控訴審が続いています。)。

 「刑事裁判における有罪の認定に当たっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要であるところ、情況証拠によって事実認定をすべき場合であっても、直接証拠によって事実認定をする場合と比べて立証の程度に差があるわけではないが(最高裁平成19年(あ)第398号同年10月16日第一小法廷決定・刑集61巻7号677頁参照)、直接証拠がないのであるから、情況証拠によって認められる間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要するものというべきである。」

 「ない、ない」と否定形が続くため、非常に分かりにくい文章ですが、要するに、有罪認定をするには、犯人でなければ説明がつかない事実関係が必要ということです。刑事裁判には、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の証明がなければ無罪という鉄則があります。しかし、その具体的内容は、必ずしもはっきりしないものがあります。条文上は「証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる。」と自由心証主義が定められているだけです(刑事訴訟法第318条)。このため、情況証拠しかない否認事件について、裁判所が「◯◯という事実と◯◯という事実を踏まえ総合判断すれば、被告人が本件の犯人であることを優に認定することができる。」などと、妙にあっさりした判決を言い渡すことが、よくありました。そして、このような判決は、たいてい弁護人の主張を排斥する形で、「弁護人は××と主張するが、△△ということもでき、被告人が犯人であると考えても矛盾するものではないから、弁護人の主張は採用できない。」などと付け足すものでした。しかし、これでは一体、裁判所はどのようなプロセスを経て有罪認定に至ったのか、判決文から解読することは容易ではありませんでした。

 この点、大阪母子殺人事件判決は、もちろん自由心証主義、合理的疑いの枠組みを維持しつつも、情況証拠による有罪認定の基本的枠組みを示した点で重要です。弁護士、検察官、裁判官が事実認定に関する共通の枠組みを認識していれば、議論がかみ合いますし、弁護側からすれば、防禦の目標が明確になります。

 この判決の理論的根拠は、藤田宙靖裁判官の補足意見の次の一節から窺い知ることができます。特に自然科学における真実の発見と刑事裁判における事実認定について述べた部分は、事実認定に携わる全ての者に対し警鐘を鳴らしたものといえるでしょう。

 「本件において認定されている各事実は、上記に見たように、いずれも被告人が犯人である可能性があることを示すものであって、仮に被告人が犯人であると想定すれば、その多くが矛盾無く説明されるという関係にあることは否定できない。しかし一般に、一定の原因事実を想定すれば様々の事実が矛盾無く説明できるという理由のみによりその原因事実が存在したと断定することが、極めて危険であるということは、改めて指摘するまでもないところであって、そこで得られるのは、本来、その原因事実の存在が仮説として成立し得るというだけのことに過ぎない。「仮説」を「真実」というためには、本来、それ以外の説明はできないことが明らかにされなければならないのであって、自然科学における真実の発見と刑事裁判における事実認定との間における性質の違いを前提としたとしても、少なくともこの理論上の基本的枠組みは、後者にあっても充分に尊重されるのでなければならない。」

 弁護人としては、個別の事件において、裁判官に対し、公判前整理手続や弁論を通じて大阪母子殺人事件判決の存在を常に意識させ、安易に「被告人が犯人であるとすればこれらの情況証拠が合理的に説明できる」という積極方向での心証形成を許さないことが重要だと思います。そして、検察官の提示する各間接事実の証明力を争い、その事実群から浮かび上がる事実関係を枠にはめて、その中には被告人が犯人でなければ説明がつかない事実関係は含まれていない、と指摘することになります。なお、この判例は、各間接「事実」につき、個別に被告人が犯人でなければ説明がつかないか否かを検討するのではなく、その「事実」の集積ともいえる「事実関係」を検討対象とするように読めるので、的外れな主張にならないよう、この点にも注意する必要があると思います。

目次