「顧客満足度」を考える

 最近「顧客満足度に自信あり」という広告をする弁護士事務所を見かけます。以前は取っ付きにくいと思われていた弁護士が、顧客サービスを積極的に打ち出すようになったことは、利用者にとって悪いことではないと思います。弁護士に対して依頼者が不満を抱く要因の一つは、コミュニケーション不足、つまり弁護士が依頼者への報告を怠ったり、十分な打合せの時間をとらなかったりすることにあるようですから、その点が改善されることは依頼者にとって大変喜ばしいことです。そして、弁護士にとっても、自分の依頼者が満足してくれることは、当然ながら嬉しいものです。

 しかし、それにしてもこの種の広告には釈然としないものを感じます。その原因はどこにあるのでしょうか。

 ある程度経験を積んだ弁護士であれば、誰もが知っていることがあります。それは、どんなに弁護士が頑張っても、依頼者が満足するとは限らないという現実です。依頼者が満足しない場合には、大別して2つの類型があるように思います。

 一つは、結果に満足しない場合です。法律問題の多くには相手方がいて、訴訟であれば裁判官も登場します。当然、事件処理は相手方の影響を受けますし、最終的に決めるのは弁護士ではなく裁判官です。弁護士の努力と思いだけでは何ともならない場合があります。それに、そもそも事件の「筋」というものがあります。当初から何ともならないことが予想される事件があり、それでも受任しなければならないときがあります。しかし、残念ながら、依頼者には満足してもらえません。

 もう一つは、依頼者が満足しない性格の方である場合です。弁護士の目からみてかなり良い結果であるにもかかわらず、依頼者の方が強い不満を表明されることがあります。このような場合、弁護士としては何ともやり切れないものがあります。弁護士には、そのような依頼者の方の不満も、まるごと引き受ける覚悟が必要です。しかし、残念ながら、依頼者には満足してもらえません。

 さて、こういった類型があることを前提にしつつ、弁護士が顧客に満足してもらえる確率を高める手っ取り早い方法があります。それは、ひたすら依頼者のご機嫌を取ることです。依頼者の言い分を網羅的に拾い上げ、可能な限り長い書面を作成して頑張っていることを精一杯アピールし、打合せの際も依頼者の耳に心地の良い話をして安心させ、仮に残念な結果に終わったときには「不可抗力だった」あるいは「裁判官が悪かった」などと言って、ひたすら依頼者に同情します。

 弁護士業が顧客から報酬を受け取って生計を立てる職業である以上、こうしたご機嫌取りが必要な場面があることは否定できません。しかし、このようなご機嫌取りも度が過ぎると、事件処理に悪影響を及ぼし兼ねないと思います。

 弁護士と依頼者との間には、法的知識及び経験において、圧倒的な格差があります。最近では、インターネットや書物を通じて自ら率先して情報を得る依頼者も多く、私自身も驚くほどの法的知識を持った相談者・依頼者に会うことがあります。しかし、それでも紛争解決の場数をどれだけ踏んできたかという経験面からみれば、弁護士の独壇場と言わざるを得ません。依頼者が、その弁護士の活動の善し悪しを正確に判断することは、非常に困難です。このように依頼者との関係で圧倒的優位に立つ弁護士が、依頼者のご機嫌取りを優先するあまり、法律専門家としての事件処理にブレが生じたらどうなるでしょうか。

 他人の意見に左右されない自分自身の考え、すなわち定見を持たない弁護士は、いつまで経っても、依頼者の代理人にはなれず、使者のままだと思います。弁護士は「顧客満足度」に振り回されることなく、粛々と依頼者のために最善を尽くせばよいのであり、誤解を恐れずに言えば、「顧客満足度」とは、何の意味もない指標ではないかと考えます。

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