刑事弁護のセカンド・オピニオン

 このホームページをご覧になった方か、別の弁護士から紹介された方か、主に2つのルートですが、ここ数年、刑事弁護についてセカンド・オピニオンを求められる機会が多くなりました。「本人又は身内にこういう弁護士がついた。弁護士からこういうことを言われた。あるいは、こういう結果になった。どうしたらいいか。」このような相談です。

 もちろん、自分自身、まだ十分に納得のいく弁護ができるわけではありません。終わってから「あのとき、ああすれば良かった。こう言えば良かった。」と悔しい思いをする事がしばしばあります。この記事は、自分のことを棚に上げて書いているという側面があります。それに、ここで紹介する事例は、相談者の一方的な話を前提とするもので、きちんと記録を検討したわけでも弁護士側の話を聞いたわけでもありません。相談者の勘違いや誇張が含まれているかも知れません。しかし、相談の中には、いくら弁護士側に立ってひいき目に見ても、弁護活動が原因で深刻な事態を招いているとしか思えないものもあります。例えば、次のような事例です。

事例1:否認事件なのに、取調べの際、警察官・検察官の筋書きに沿った自白調書を何通も作られてしまった。

 この事例では、弁護士は頻繁に被疑者と接見し、一見、熱心な弁護活動をしているように見えました。しかし、相談者によれば、弁護士は確かに接見はするものの、実践的なアドバイスはあまりなく、雑談や伝言が中心だったようです。否認事件だけでなく自白事件でも警察官・検察官に身を委ねて調書を作らせることは非常に危険です。裁判になってから、少しでも調書に対して異論を唱えることは至難の業だからです。接見の際、黙秘や調書への署名押印拒否を徹底するよう繰り返しアドバイスしながら被疑者を勇気づければ、このような事態にならなかったのではないかと思いました。

事例2:難しい論点について裁判で争ってほしいと私選弁護人に頼んだが「自分には経験がない。」と言われた。「争っても無駄だ。」とも言われた。そう言っているうちに裁判はだいぶ進んでしまった。

 厳しい言い方ですが、弁護士が自分の手に負えない事件を受けてしまった場合、誰か他の弁護士の助けを求めるか(共同受任)、潔く手を引くべきです(辞任)。もし経験のない医師がマニュアルを片手に恐る恐る手術すると言ったら、患者はきっと不安になることでしょう。それと同じです。この事例では、もし初期段階でその弁護士が辞任し、他の弁護士が最初から弁護をしていたならば、全く違う展開になっていたのではないかと思いました。

事例3:死亡事故で起訴された。「事実関係に納得できなくても認めれば執行猶予になるはずだ。被害者遺族の感情を逆なでせずに全部認めてひたすら謝ったほうがいい。」と弁護士に言われ、そのとおりにしたら実刑判決になった。

 大きな問題が二つあります。一つは弁護士の見通しに対する甘さです。最近は過失の場合でも人が亡くなった事案では非常に刑が厳しくなっています。故意の場合は仕方ないとは思いますが、過失の場合は、被疑者・被告人にとって望んだ結果ではありません。誰もが事故を起こす可能性はあります。そのような過失犯を厳しく処罰することについては、個人的に疑問もあります。しかし、現実に非常に厳しいのは確かですから、弁護士として依頼者に甘い見通しを告げるべきではありません。
 もう一つはより深刻で、被疑者・被告人が事実関係に納得できないと言っているのに、事実関係を争わなかったことです。過失が認められるかどうかの判断に悩む事件は少なくありません。そこで争わなければ、被疑者・被告人は不起訴あるいは無罪になる機会を失ったことになります。そして、仮に争って有罪になったとしても、被害者遺族の感情に配慮することとは全く別次元の問題です。情状弁護においては、確かに謝ることも大切ですが、どのような経緯でどのような行為をしたのかを証拠に照らして丁寧に詰めていくことがより重要だと思います。

事例4:裁判員裁判対象事件で、公判前整理手続には毎回出頭していたが、弁護士や裁判官が何をやっているのか分からず、そうこうしているうちにあっという間に公判が始まってしまった。

 裁判員裁判においては公判前整理手続こそが非常に重要で、八割方はここで決着がつくと言っても言い過ぎではありません。特に検察官が公判に出さない証拠をできるだけ多く開示させ、その中から手がかりを見つけ、弁護方針を組み立てていくという作業には、一定以上の日数が絶対的に必要です。この事例では、いくら迅速に進めたとしてもそれは早過ぎるというくらい、起訴された日と公判開始日の間が短かったので、おそらく弁護人はきちんと証拠開示をしなかった(あるいは検察官が任意に開示した証拠で満足してしまった)のだろうと思われます。

 刑事事件には、捜査段階から判決まで、弁護人が何もしなくても手続はどんどん進んでいき、必ずどこかで終わるという特徴があります。従って、一見、順調に進んでいるように見えるため、弁護活動の善し悪しは、その時々ではなかなか見分けがつきにくいといえます。そのような状況で、以前は、弁護人が積極的な弁護活動をしなくても(できなくても)、裁判官が膨大な証拠の中から被告人に有利な証拠を見つけ出し、被告人を救ってくれることも時々あったように思います。しかし、裁判員制度が刑事司法全体に大きな影響を与えている現在、一方当事者である弁護人の積極的な弁護活動は、より重要度を増しています。この点、反対当事者である検察官の訴訟活動は、弁護人に比べると、全体として質的に上回っているように感じます。全ての弁護活動が一定水準をクリアするにはどうすればよいのか。セカンド・オピニオンを求められるときに、そう考えることもあります。

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