なぜ無実の人が自白するのか(2)

スティーヴン・A・ドリズィン教授は、アメリカにおいて冤罪救済の第一線で活躍し、完全無罪事例の虚偽自白の実態を研究してきた研究者です。アメリカでは、近年、DNA鑑定の発展によって多くの死刑囚や懲役囚が実は無実だったことが明らかになりました。そして、よくよく調べてみると、多くの事件で、ごく普通の一般市民が、取調べを受け始めてから短時間で、やってもいない重大犯罪について自白をしていたことが明らかになったのです。このような自白を「虚偽自白」と呼んでいます。

ドリズィン教授が研究した事例は全部で125事例です。虚偽自白が行われた犯罪の内訳は、殺人が101名(約81%)、殺人未遂が2名(2%)、強姦が11名(9%)、凶器使用の強盗が2名(2%)、放火が4名(2%)などです。有罪となれば死刑や無期刑になることもある殺人が大半を占めています。なぜ、このような事態が起こるのでしょうか。

その理由の一つには、殺人事件が発生すると、警察は、一刻も早く事件の全容を解明しなければならないというプレッシャーの中で、被疑者の取調べに入れ込んでしまうということがあるでしょう。そして、殺人事件の場合は、他の事件に比べて最も経験豊富な刑事が取調べを担当し、何とかして自白を獲得しようとする余り、虚偽自白が発生するのです。

自白は証拠の王様として裁判の中で重視されています。このことは日本でもアメリカでも同じようです。しかし、日本のように最大23日間も被疑者の身柄を拘束して、その間、毎日のように朝から晩まで取調べをするというシステムは、先進国の中でも特異なようです。しかも、日本の被疑者は、この23日間、取調べ刑事の所属する警察の用意した留置施設で寝泊まりするのが通常です。つまり生活の全てを警察に支配されるわけです。これも特異な制度と言われ続け、国際的に批判を受けている「代用監獄」です。ドリズィン教授によれば、取調べ時間が6時間以上になると、虚偽自白に至る確率がかなり高くなるとのことですが、たった6時間でそうだとすると、日本の取調べは一体どうなってしまうのでしょうか。ここに大きな問題があると思います。

それにしても、人はなぜやってもいない犯罪を自白するのでしょうか。ドリズィン教授は虚偽自白には4つのタイプがあると指摘します。

①自発的な虚偽自白 ~ 警察による圧力がないのに、意図的に自分が有罪であると自白する。

②強要されて迎合した自白~危険を受ける恐れから、又、刑の減軽の約束に応じて自白する。

③ストレスにより迎合した自白~法的に妥当な範囲を超えた取調べによる極度のストレスから逃避するために自白する。

④信じ込まされたり取り込まれたりした自白~罪を犯した記憶がないにもかかわらず、自分がやったに違いないと認め、心から(ただし往々にして一時的に)罪を犯したと信じ込んで自白する。

取調官は、被疑者が自信を失って絶望に陥るまで取調べを続けます。絶望に陥った被疑者は、自分が犯人であることを示唆するような発言をしてしまいます。本当は無実であるはずの被疑者が、それほどまでに絶望に陥り、無実を叫び続けるよりも自白したほうがよいと思わせるテクニックとは、一体何なのでしょうか。

まず、取調官は、被疑者との関係を構築した後、突然、「俺たちは、お前がやったかどうか訊くためにここにいるわけじゃない。どうしてやったのかを訊くためにいるんだ」、「おまえがやった証拠もある。自白したほうが身のためだぞ」などと言って、対決モードに切り替えます。そして、取調官は、被疑者が無実を訴えようとしても、途中で割って入り、犯罪を認めるまで何時間も取調べを続けます。そのうち被疑者の自信は絶望に変わっていきます。

被疑者の自白を促すテクニックは色々あります。例えば、「何人もの証人がお前がやったと言っている」、「お前の共犯者はお前に罪をかぶせようとしている」、「お前の毛髪、血液があの部屋で見つかったので研究所に送った。鑑定結果が出たらお前も終わりだな」などと言って被疑者に嘘をつくこともあります。また、「子どもを食べさせるために金を盗んだんだろう」、「被害者を襲ったのは、自己防衛のためだったんだろう」、「合意の上での性行為だったんだろう」などと言って、被疑者の体面を保ってやります。ただし、最初から無実という選択枝は与えられず、動機づけをしたら、すかさず被疑者を自白に追い込んでいきます。動機づけには、良心、良識、信仰、道徳心などへの働きかけや、「自白しないと死刑になる」などといった刑の減軽の約束や危害への恐れのほか、「検事や判事の立場になってみろ。協力的な奴とそうじゃない奴と、どちらを相手にしたいと思うか」などと言い、自白したほうが検事や判事の心証を良くし、被疑者の利益になると思わせる方法もあります。このほか、被疑者の記憶に対する自信を失わせる方法もあります。被疑者は取調べに疲れてくると、自分の記憶を疑い始めます。「自分はこのようなひどいことをしてしまったに違いない。それなのに、どうして思い出せないんだろう」と。これに対し、取調官は、被疑者に「一時的な無意識状態」だったとか「夢遊状態」だったなどと思い込ませます。「余りにも痛ましい出来事なので自分の意識の中に抑制してしまったのだ」などと言って、被疑者に自分の記憶に疑いを抱かせるのです。

では、虚偽自白をなくすために、我々はどのようなことができるのでしょうか。ドリズィン教授は、有効な手立てとして、「取調べの全過程の録音・録画」、すなわち「取調べの全面可視化」を挙げます。取調べの全過程の録音・録画は、被告人、検察官のいずれか一方に有利に働くものではなく、それがなされることによって、自白が自発的になされたものかどうかを裁判所が容易に判断できるようになります。そして、録音・録画することで、取調べのあり方にも注意を促し、虚偽自白の防止にも役立つものといえます。

日本では、平成21年5月から裁判員制度が始まりますが、私は、それに先立って、是非とも取調べの全過程の録音・録画をするべきだと思います。現在、検察庁では、自白の調書を最後に読んで署名させる部分だけ録音・録画していますが、これではかえって害悪が大きいと言えます。肝心の自白がされた部分が隠されてしまうからです。このような「いいとこ録り」の一部録音・録画は、かえって怪しいもので、結局、裁判員裁判では通用しないはずです。取調べの全過程の録音・録画、すなわち「取調べの全面可視化」は必然の流れだと思います。

ドリズィン教授はアメリカでの「取調べの全面可視化」実現までの体験談を語ってくれました。ドリズィン教授のいるイリノイ州では、10年ほど前から「取調べの全面可視化」の議論がなされていましたが、当初は捜査当局を中心に否定的な意見が強かったようです。しかし、そのうちに議会の勢力図が変わって民主党が多数派を占めるようになり、「取調べの全面可視化」の動きが進みました。そして、民主党のある上院議員が「取調べの全面可視化」の調査に動き、ドリズィン教授らとともに精力的に活動を続け、2003年7月、ついにイリノイ州で「取調べの全面可視化」が実現したのです。

そして、その上院議員こそが、バラク・オバマ次期大統領だったのです。

最後に、ドリズィン教授は、名張毒ぶどう酒事件の名古屋高裁刑事2部の決定の誤りを厳しく指摘し、任意性に強い疑いのある自白を証拠として死刑を言い渡すことは許されず、再審を開始すべきであると強く訴えました。私自身、名張毒ぶどう酒事件はもちろん、他の様々な刑事事件で、自白の問題に直面して悩んできましたので、ドリズィン教授の言葉の一つ一つに、非常に勇気づけられました。

【関連エッセイ】
なぜ無実の人が自白するのか(1)

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