「そうすると」って?

 先日、久しぶりにエッセイを更新し、嘆かわしい勾留裁判の劣化について書いたのですが、さっそく嘆かわしい決定に出くわしました。勾留決定に対して準抗告を申し立てたところ、裁判所はA4わずか1枚で、次のように申立を棄却したのです。

1 本件申立ての趣意は、要するに、勾留の理由も必要もないのに、被疑者を勾留した原裁判は不当であるから、これを取り消し、本件勾留請求を却下する旨の裁判を求めるというものである。
2 本件は・・・事案である。
3 事案の内容や性質、被疑者と共犯者の関係性や供述状況等に照らすと、被疑者が罪体及び重要な情状事実について罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある。そうすると、・・・など弁護人の指摘する事情を踏まえても、勾留の必要もあると認められる。
4 したがって、原裁判は正当であり、本件準抗告は理由がないから、刑訴法432条、426条1項により、主文のとおり決定する。

 これで全部です。理由が理由になっていないという点は、先日のエッセイで指摘したとおりです。当然ながら、この決定にもテンプレートを使って作成したのではないか疑惑がつきまといます。

 ところが、テンプレート疑惑以前に、この決定には重大な論理的問題があります。

 この決定は、まず「事案の内容や性質、被疑者と共犯者の関係性や供述状況等に照らすと、被疑者が罪体及び重要な情状事実について罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある」とし、法60条1項2号所定の勾留の理由があると認定しています。ところが、決定は、その後、「そうすると」と続け、「・・・など弁護人の指摘する事情を踏まえても、勾留の必要もあると認められる」とし、勾留の必要性があると認定しました。

 しかし、勾留の理由と勾留の必要性は、司法試験の勉強をした者であれば誰もが知っているとおり、別の要件です。一言でいえば、勾留の理由が認められても必要性が認められない場合は勾留してはならない、となります。ところが、この決定は、勾留の必要性が認められる根拠について、「そうすると」と前の文章を受ける形になっています。「そうすると」が指す前の文章とは、勾留の理由があると認定した一文以外にありません。したがって、論理的に考えて、原決定は、勾留の理由があるから勾留の必要性も認められる、と判断したことになります。

 しかし、このような判断は、勾留の理由がある場合でも勾留の必要性を別途判断しなければならないという、確立された判例実務と大きくかけ離れています。現在の判例実務は、罪証隠滅関係に関しては、最高裁平成26年11月17日決定を意識しつつ、まず抽象的必要的要件としての「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」(刑訴法60条1項2号)を検討した上で、さらに勾留の必要性の判断を左右する要素として、罪証隠滅の現実的可能性の程度を論じています。

 結局、この決定は、勾留の理由については一応判断していますが、別要件である勾留の必要性について全く判断をしなかったことになります。このようなミスを「そうすると」の一言で片づけてよいはずがなく、この決定を通じて、勾留裁判の劣化は想像以上に進んでいると実感しました。

 この点、安易に勾留が容認される実務を打開すべく、現在、弁護士サイドでは、各地で「全件準抗告運動」が提唱されているようです。しかし、いくら準抗告の申立件数を増やしたところで、申立の質が伴わなければ足元を見られ、裁判所サイドが「全件テンプレート運動」で対抗してくるだけだと思います。全件運動はあまり実益がないのではないか、と個人的には悲観的な見方をしています。

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