最近の勾留裁判の劣化

 少なくとも私の周りで刑事弁護に取り組んでいる弁護士の間では、勾留決定や勾留延長決定に対して準抗告を申し立てることは、今や当たり前の光景になってきました。それだけ、我々の目から見て不当な勾留が多いということでしょう。年数を重ねていくうちに申立のノウハウも蓄積され、勾留理由、必要性、延長理由について、法解釈や最近の裁判例を踏まえどのような疎明資料を用意するか等、事例に即して工夫するようになってきました。当然ながら、申立書の内容は事件によって千差万別です。10年以上前でしょうか、今ほどノウハウがない時代に薄っぺらい書式を参考にしながら、見よう見まねで申立をしていた頃に比べると隔世の感があります。

 こうしたおかげで、まだまだ確率的には低いものの、準抗告が認容されることは、昔に比べれば増えたように感じます。統計的に見ても、それは事実のようです。特に「当たり」の裁判所を引き当てたときには、その確率は飛躍的に高まります(ただし、当地でその「当たり」を引き当てる確率は低く、多くの「外れ」を引いてしまうのが現実ではあります。)。

 ところが、申立の充実ぶりとは裏腹に、最近、裁判所側の驚くべき運用に気づきました。自分自身が受け取った準抗告棄却決定や周りの弁護士から提供を受けた準抗告棄却決定を何通か並べてみたところ、決定理由の書きっぷりが、まるで「金太郎飴」のようにどれも同じなのです。必ずしも同じ裁判官というわけではありません。一例を挙げると、何通かの勾留延長決定に対する準抗告棄却決定の理由は、ほとんど全て、次のようになっています。

1 本件準抗告の趣意は、被疑者には勾留期間を延長するやむを得ない事由がないのに、10日間の勾留期間延長を認めた原裁判は不当であるから、原裁判を取り消し、本件勾留期間延長請求を却下するとの裁判を求めるというものである。
2 本件は、被疑者が・・・という事案である。
3 本件事案の性質や内容、被疑者や関係者の供述状況、捜査の進捗状況等に照らすと、事案を解明して適正な処分を決するためには、弁護人の指摘を踏まえても、被疑者の身柄を拘束した状態で、原裁判が延長理由に掲げる所要の捜査を尽くす必要があり、勾留期間を10日間延長するやむを得ない事由がある。
4 以上によれば、原裁判は正当であり、本件準抗告には理由がないから、刑訴法432条、426条1項により、主文のとおり決定する。

 つまり、2の「・・・」の部分以外は、ほとんど全て同じ、いわばテンプレート=ひな形というわけです。邪推と言われるかも知れませんが、まるで裁判官の間でこのような書式が出回っているのではないかと思うほどです。

 このような準抗告決定を一読したとき、それらしい理由が10行程度書いてあるようにも見えますが、実はそうではありません。上記の例で言えば次の通りです。1は準抗告を申し立てたことを条文に沿って確認しただけです。3は「事案の性質や内容、被疑者や関係者の供述状況、捜査の進捗状況等」と書かれても、抽象的すぎて、結局何なのか全く分かりません。どのような事案だから申立を認められないのか、被疑者や関係者がどのような供述をしているから認められないのか、捜査がどのような進捗状況だから認められないのか、「どのような」の部分がなければ、もはや理由とは言えず、結論に過ぎません。そして3の残りの部分は、勾留延長に関する条文と誰でも知っている基本的解釈を転記しただけですから、これも理由ではなく結論です。次に4は条文の適用ですから、これも結論です。結局、このテンプレートの中で、唯一事案によって異なるのは2だけですが、これは理由というより、事案を要約しただけのものです。

 こうして、私は、実はかなりの数の準抗告棄却決定が、ほとんど全て同じテンプレートで作成されていること、そして、それらが一見理由が書かれているように見えて、実は何も書かれていないことに気づき、愕然としたわけです。

 ところで、私が「最近の準抗告決定には理由がない。スカスカだ。」と憤ったところで、裁判官は涼しげな顔をしながら、こう言い放つかも知れません。「準抗告決定の理由なんてサービスで書いてあげるものだ。そもそも、理由なんて書く義務はないのだから。」かなり昔の話ですが、実際、私に対して、面と向かってそう言った裁判官がいました。

 確かに、刑事訴訟法44条2項には、上訴を許さない決定には、理由を付することを要しないとあり、勾留関係の準抗告決定もこれに含まれるとされています。原決定のどこに不服があるのかを明らかにできなければ上訴することができないから、上訴することができる場合は決定に理由を付さなければならない、という考えの裏返しといえるでしょう。要するに、上訴できないのだから、理由を付しても意味がない、と。

 しかし、公正な判断をすべき法律家の一人として、そのように判断した理由を書かないというのは、もはや法律家としての矜持はどこへ消えたのかというレベルの問題だと思います。自分は理由を意図的に書かないつもりかも知れないが、実は書けないだけではないか。私はそのように考えています。それに、裁判官が判断の理由を明らかにしなければ、我々申し立てる側は、今後、その事件や他の事件について、どのようにさらなる工夫を凝らして申し立てればよいのか、手がかりを掴むことさえできません。

このようなことが繰り返されるようでは、日本の勾留裁判は、グローバル・スタンダードからかけ離れたまま、ますます劣化していくことでしょう。

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