海外から批判される日本の刑事手続

 日産元会長のカルロス・ゴーン氏と元代表取締役のグレッグ・ケリー氏が金融商品取引法違反で逮捕・勾留されたという報道は衝撃的でしたが、それと同時に興味深い報道が続いています。日本の刑事手続が海外から批判されているというのです。

 主たる批判の発信源は、ゴーン氏が国籍を有するフランスと、ケリー氏が国籍を有する米国のようです。日本の報道機関が、フランスや米国のメディアの記事をまとめて紹介していますが、このインターネット時代、フランスや米国のメディアにアクセスすることも容易ですから、原典にあたることもできます(取っつきにくいフランス語は、Google翻訳等を利用すれば、ほぼ意味を理解することができます。)。

 批判の対象は、勾留期間が長いこと、取調べに弁護人の立会いがないこと、弁護人以外の接見が認められないこと、といった点です。いみじくも、日本において刑事弁護に携わる我々弁護士が、日々痛感していることばかりです。

 勾留期間が長いことについては、日本とフランスや米国の制度の違いもあり、一概に比較することはできませんが、少なくとも次の2点は明確に指摘することができるでしょう。一つは、日本においては、同時に捜査可能な事件を細分化して、別の事件だからという理由で何度も何度も20日ずつ勾留されるケースが多いことです。ゴーン氏らの事件も、報道によれば、別の時期の嫌疑を理由に逮捕・勾留する方針とのことです。私がここ数年で経験した事件を思い返しても、関係者が共通し、時期も連続していて、通信記録やDNA鑑定等の証拠も共通と思われる事件について、逮捕・勾留を繰り返され、20日が経過するたびに処分保留、釈放、逮捕となって何ヶ月も起訴前勾留が続いたケースが複数あります。釈放と言っても外に出られるわけではなく、警察署内ですぐに別の事件で逮捕されるので、実際には連続した逮捕・勾留となります。しかも、毎回、処分保留となるため、いつまで経っても、捜査機関側にどのような証拠があるのか分からないままです。このような場合、検察官がその都度起訴をせず、処分保留とすることが多いのは、一旦起訴してしまうと一定期間内に証拠調べ請求をしなければならず、そのとき弁護人に手の内を知られてしまうため、それを回避する目的ではないかと推察します。しかし、このような検察官の態度はアンフェアだと思います。

 取調べに弁護人の立会いがないことは、それが制度として確立されているフランスや米国からすると、異常な運用に見えるのでしょう。私も、このエッセイで何度か黙秘の重要性について書きましたが、その根底には、被疑者に法的な助言を与えるべき弁護人が取調室から排除され、被疑者が無防備な状態で相手方代理人ともいうべき警察官や検察官の前に差し出されるという運用に適切に対処するには、黙秘しか手段がないという問題意識があるからです。捜査機関側からは、弁護人の立会いを排除する理由として、取調べには取調官と被疑者の信頼関係が必要であり、弁護人の立会いはなじまないなどという反論がなされますが、全く反論になっていないと思います。

 特に否認したり黙秘したりする事件について、弁護人以外の接見が認められないことが多いのも、日本の刑事司法の異常な側面の一つといえます。この場合、家族との接見もなかなか認められません。裁判官は、あっさり「家族を通じて罪証隠滅行為に及ぶ相当な理由がある」と判断する傾向にあります。

 素直に認めないといつまでもこのような状態が続きますよ、という心理的プレッシャーの下、自白を迫るという日本の刑事司法は、一言でいえば「人質司法(Hostage Justice)」です。この分野において、日本が著しく立ち遅れていることは明らかです。やや楽観的ですが、今回の事件をきっかけに、日本の恥ずべき「人質司法」が図らずも世界中に晒され、改革につながればよいと思います。

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