無罪主張と情状弁護は相容れない

 先週の金曜日(3月24日)、知人女性を殺害し、同級生に硫酸タリウムを飲ませたとして、殺人、殺人未遂等に問われた元大学生に対する判決が名古屋地裁で言い渡されました。完全責任能力を認めて無期懲役としたことに加え、裁判長が、仮釈放の弾力的運用に言及したことが報道で大きく取り上げられていました。

 ところで、報道によると、裁判長は、この日「裁判員からのメッセージ」として「公判中の弁護側主張に関し『心神喪失を理由とする無罪主張にこだわるあまり、量刑に関する適切かつ十分な主張がなかった。適切な弁護を受けていないのではとの意見もあった』と話した。」とのことです。判決後の記者会見などで、裁判員が弁護活動について否定的な発言をする場面は、残念ながら珍しくありません。しかし、「裁判員からのメッセージ」と前置きはあるものの、裁判官が公開の法廷でこのように言及するのは、かなり異例だと思います。一瞬、誤報ではないかと目を疑いましたが、判決の場にいた方もそう言っていたので、おそらく間違いないのでしょう。

 裁判長の発言については、名古屋の金岡繁裕弁護士が、自身のコラムの中で、憲法や裁判員法を引用して違憲ではないかと痛烈に批判していますが、私も氏の意見に大いに賛同します。

 弁護人が無罪主張をする場合において、有罪となったときに備え、情状についても主張立証すべきではないかと思い悩むことは、よくあります。特に、裁判員裁判の時代になって、この問題を深刻に受け止めています。以前は、無罪主張で有罪となった場合、裁判所が、後見的立場とでも言うのでしょうか、被告人にとって有利な情状をある程度汲んで、バランスを意識した判決を言い渡すことが多かったと記憶しています。ところが、裁判員裁判になってからは、当事者の主張しない事実が情状面で反映されることは少なくなりました。検察官の論告に対し、弁護人が何も言わなければ「言われっぱなし」の状態となります。

 それほどリスキーならば、無罪主張をしつつも「もし有罪となったとしても」と前置きして情状弁護をすれば良い、という意見もあろうかと思います。しかし、そのような中途半端で歯切れの悪い無罪主張に、どれだけ説得力があるというのでしょうか。説得力云々を論ずる以前に、それこそ不適切な弁護となり兼ねません。

 それでも、例えば、死刑求刑が予想されるような極限的な場面においては、果たして「言われっぱなし」で構わないのか、弁護人に対し、なかなか原則論だけでは割り切れないプレッシャーがかかります。私は、これまで何度かそのような事件の弁護をしてきましたが、何度関わっても、なかなか打開策を見出すことができず、困難さを痛感します。

 ある無罪主張の事件では、公判前整理手続において、手続を二分した審理を求めました。まず、有罪か無罪かを審理し、論告・弁論を経て評議に入り裁判所が有罪か無罪かの結論を出す。無罪であれば終わり、有罪であれば引き続き量刑の審理に入り、再び論告・弁論を経て評議に入り裁判所が最終的な結論を出す。このような手続を求めたのですが、裁判所は有罪か無罪かだけを明らかにすることはできないと強く抵抗し、議論の末、最終的には手続二分「的」審理に落ち着きました。すなわち、裁判所は有罪か無罪かを決する中間評議をするのですが、結果は明らかにせず、そのまま量刑の審理に入るというものです。

 しかし、この手続二分「的」審理では、やはり、無罪主張しながら情状弁護をするという弁護活動自体の矛盾性を払拭することは困難と感じました。前半で事実関係を徹底的に争っていたのに、文字どおり白黒つかないうちに、後半で何もなかったように寛大な刑を求めることになるのです。矛盾しないわけがありません。

 別の一部無罪主張の事件では、手続二分「的」審理ではなく、通常どおりに審理を進め、最後に、死刑求刑に対する反論に絞って情状の弁論をしました。つまり、検察官の主張する事実を前提としても死刑は不相当である、という反論をするわけです。弁護人の主張を維持しつつ、検察官の主張の限度でこれに対応するというものですから、手続二分「的」審理より弁護活動の矛盾性は和らぐのですが、別の問題が生じます。すなわち、検察官の論告を事前に知ることができないため、論告終了後、限られた時間の中で、弁論を組み替える必要があるのです。この事件では、弁論は論告とは別の期日に予定されましたが、通常、裁判所は、論告と弁論を同じ期日に終えることを強く求めます(双方の意見を一気に聴きたいという立場は分からなくはありませんが、現実的には困難を伴います。)。それに、論告への反論というスタイルでは、どうしても情状弁護が断片的になり勝ちで、一貫した主張を形成することが非常に難しいという根本的問題が残ります。

 結局、無罪主張しつつ情状弁護も、となると、手続二分「的」審理ではなく、完全に手続を二分した審理を実現するしかないと思います。私は、完全手続二分は現行法でも可能と考えていますが、これまでの裁判所の姿勢からすると、法改正するのが現実的な気がします。

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