シリーズ「弁護人に問う」第2回〜なぜ黙秘権を行使しないのか

 私たち弁護士の多くは、何らかの形で民事訴訟に携わります。民事訴訟においては、自分の依頼者と相手方がそれぞれ原告・被告という当事者として対峙し、それぞれの当事者に弁護士が代理人としてつきます。民事訴訟の終盤に差し掛かると、当事者尋問(本人尋問)をする前に、依頼者と相手方のそれぞれが陳述書を作るのが通常です。陳述書とは、依頼を受けた代理人弁護士が自分の依頼者の言い分を文章にまとめ、「間違いありません」という意味でサインしてもらう書面です。言うまでもなく、自分の依頼者の陳述書を作るのは、依頼を受けた弁護士本人です(たまに依頼者本人が思いの丈をそのまま書いたものを陳述書として提出する弁護士がいますが、理路整然とした文章になっていないことが多く感心できません。)。ここでもし、依頼者が相手方の代理人弁護士に陳述書を書いてもらいたいと言い出したら、弁護士は驚いて「ちょっと待ちなさい。正気ですか。」と止めるはずです。

 ところが、刑事事件においては、このような「正気ですか」と言いたくなる事態が、むしろ当然のように起きています。被疑者は、民事訴訟における相手方代理人ともいうべき警察官・検察官の取調べを受け、供述調書を作成されるからです。しかも、その取調べは事件によっては毎日長時間に及び、逮捕・勾留された被疑者は、狭い留置施設に押し込められ、二十四時間、相手方代理人ともいうべき警察官に監視されます。運用上、被疑者は、取調べの際、自分の味方である弁護人に立ち会ってもらうこともできません。

 このような状況に置かれた被疑者にとって、供述調書を作らせないための最大の武器は黙秘権です。黙秘権は実にシンプルです。取調官の質問に対し「黙秘します」と述べるだけでよいからです。憲法は、何人も自己に不利益な供述を強要されないことを保障していますが(憲法38条1項)、刑事訴訟法はこれをさらに推し進めて、被疑者は自己の意思に反して供述する必要はないとしています(刑事訴訟法198条2項)。これが黙秘権です。世間一般には、「黙秘するなんて反省していない。やましいことがあるに違いない。」と黙秘権を批判的に捉える考え方が多いかも知れません。しかし、仮に被疑者が罪を認めている事件であったとしても、密室の取調べの中で取調官に対し密かに反省の弁を述べるのではなく、示談のときや公判のときに、自ら事実を明らかにした上、被害者に対し直接謝罪するほうが誠実ではないかとも思えます。それに、黙秘権は憲法に由来する権利です。権利というものは決してお飾りではありません。誰もが堂々と行使できる権利でなければ、もはや権利とはいえません。だからこそ、裁判実務上、被告人が黙秘権を行使した場合、まず、事実認定において、これを不利益に考慮することはできないとされ、量刑上不利益に考慮することができるか否かについても、これをできないとする考え方が一般的なのです。

 この黙秘権は、一連の刑事司法改革のおかげで、かなり行使しやすくなったと実感します。まず、被疑者国選対象事件が大幅に拡大したことで、捜査段階から弁護人がつくことが当たり前の時代になりました。弁護士の中で、黙秘権の行使を堂々と勧める人はまだそれほど多くはないと思います。しかし、以前に比べると黙秘権を行使する事例は格段に増えてきました。弁護士の間で、捜査段階の弁護活動についてのノウハウが蓄積されてきたことも影響していると思います。また、裁判員制度の影響によって、裁判所が以前ほど被疑者の供述調書を重視しなくなったことも大きいと思います。裁判員裁判では、法廷で見聞きしたことを重視して有罪・無罪、量刑を決めます。それ以前は、法廷で記録のやり取りをした後、裁判官が部屋にこもってその記録を読んで有罪・無罪、量刑を決める傾向にありました。法廷で見聞きしたことが重視されると、取調官が被疑者を密室で取り調べて物語風にまとめた供述調書よりも、目の前にいる被告人から直接話を聞いたほうがよい、分かりやすいとなります。こうして、相対的に供述調書の価値が下がり、捜査機関も供述調書にこだわる必要がなくなってきます。取調官の供述調書獲得へのインセンティブは、以前ほど強くないと思います。

 しかし、それでも相変わらず、取調官は、なりふり構わず、被疑者から供述を引き出そうとすることがあります。それは、一部の事件についてですが、主に検察庁における取調べの録音録画から窺い知ることができます。取調べが録音録画がされるようになれば、検察官は、カメラを意識しながら、徹頭徹尾丁寧な取調べを心がけ、被疑者が黙秘権を行使したら、その後の質問は中止するものと思っていました。もちろん、丁寧な検察官もいるのですが、中には驚くような検察官もいます。例えば、被疑者が「黙秘します」と言うと、検察官は声を荒げて、次のようにまくしたてます。「弁護士が黙秘しろと言っているの?弁護士はどうでもいい。あなたは人間としてどうなの?なぜ黙秘するの?黙秘する理由を今すぐ説明しなさい。納得できる理由が出なければ、何度でも聞くから。いつまでも取調べは終わらないよ。黙秘すると裁判のとき不利になるから。弁護士は黙秘したことの責任を取ってくれるの?」憲法・刑事訴訟法を学んだ者であれば、これが許されない取調べであることは一目瞭然です。しかし、驚くべきことに、このような取調べの様子が、平然と録音録画されているのです。この映像を見る限り、録音録画されていなかった時代の取調べは、さぞかし凄まじかったのだろうと想像します。

 黙秘権の行使がもっと一般的になれば、異常ともいうべき日本の取調べ時間を短くするきっかけになるはずです。先進国において、日本のように、被疑者を20日間も代用監獄(代用刑事施設)に勾留し、その間、何度も何度も同じような取調べを繰り返し、詳細な供述調書を何通も何十通も作成する国は見当たりません。この点、捜査機関が、被疑者の供述に頼らなくなれば、必然的に、科学的証拠、客観的証拠を重視せざるを得ません。私は、そのほうが文明国家における刑事手続として健全ではないかと思います。

 私は、必ず起訴されるであろう事件については、基本的に全て黙秘すべきであると考えます。被疑者の供述調書がなければ、公判段階において「言った」「言わない」の水掛け論を回避することができますし、その分、捜査機関も科学的証拠、客観的証拠を丁寧に収集するため、かえって事件の全体像がよく分かるからです。他方、黙秘にこだわる必要のない事件もあるかと思います。それは、不起訴の見込みが相当程度あり、かつ、比較的単純な事件の場合です。この場合も、私は、被疑者に無理に話をさせるのではなく、基本的には弁護人が被疑者の言い分をまとめ、直接、検察官と交渉するほうが望ましいと考えます。しかし、事案によっては、そうもいかず、取調べの中で被疑者にある程度話をさせ、起訴猶予を含む不起訴を目指すという弁護活動も十分あり得ます。この他、黙秘した場合における起訴後の保釈への影響を心配する意見もありますが、保釈の要件と黙秘は必ずしも連動しておらず、被告人の言い分を整理しておくというのであれば、取調官による供述調書の代わりに、捜査段階の接見において、弁護人の面前で詳細な供述書を作成しておくという方法もあります。いずれにせよ、目の前の保釈を意識する余り、肝心の裁判で不利になっては本末転倒だと思います。

 弁護人が黙秘権の行使を勧めることをためらったときは、このように問うべきです。「あなたは自分の依頼者を相手方代理人に差し出して、自由に陳述書を作らせてもよいのですか。」

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