シリーズ「弁護人に問う」第1回〜なぜ被疑者・被告人に向き合わないのか

 若い弁護士の方からこういう質問を受けることがあります。「被疑者・被告人が○○○と言って否認しているのですが、とても本当のこととは思えず困っています。どうしたらいいのでしょうか。」

 このような場合、弁護人が何らかの先入観や思い込みを持って被疑者・被告人に接しているのではないかと感じることがよくあります。「どうせやっているんだろう」という態度で接見に臨んだ場合、新聞記事に影響されている場合、接見室での被疑者・被告人の風貌が胡散臭かった場合、自分が過去に担当し有罪になった事件と重なった場合など、様々な先入観や思い込みが考えられます(なお、検察官だけでなく裁判官や弁護人までもが、被告人の供述全般のことを、しばしば「被告人の弁解」と呼んでいます。しかし「弁解」という日本語は、一般社会では「言い訳をする」という意味に使われています。「被告人の弁解」では、話を聞く前からウソと決めつける印象を与えかねないので、私は「弁解」という言葉は使わないようにしています。)。

 しかし、この先入観や思い込みは、弁護人にとって最も危険な病気だと思います。自分に問いかけてみてください。あなたは証拠も検討せず直感や経験則だけで被疑者・被告人の話を切り捨ててしまうのですか。新聞記事は警察がマスコミにリークした情報をベースに書かれたものに過ぎないのではないのですか。接見室の向こう側にラフな格好で現れたからといって話の中味まで否定するのですか。過去に担当した事件と今回の事件は本当に同じですか。他にも、その被疑者・被告人は自分がよく覚えていないことを前提に、たぶんこうだろうと推測を述べているだけではありませんか。被疑者が捜査機関に追及されて頭の中で歪んだストーリーを固めてしまった可能性はありませんか。その一見信じ難い話は被疑者・被告人のコミュニケーション能力に起因する表現方法の問題に過ぎず、被疑者・被告人の真意は別にあるのではないですか。典型的な統合失調症だけでなく精神遅滞等を含め、広く責任能力を検討する必要はありませんか。

 捜査段階において、弁護人は捜査機関の収集した証拠に接することができません。主だった証拠は既に捜査機関によって収集され、弁護人はライオンの群れが去った後のハイエナのように残り物がないかを探すだけです。捜査段階では、被疑者・被告人の説明が証拠上成り立つかを検証する方法がないのが通常です。したがって、とりあえず被疑者の話をありのまま聞きつつも、黙秘権の行使等の取調べ対応を重視していくしかありません。
 
 公判段階において、弁護人は、断片的ではありますが、証拠に接することができます(その断片をできるだけ多く集めるために証拠開示が重要です。)。そして、証拠によって裏づけられる事実に照らし被告人の説明が成り立つかどうか、言い換えれば、被告人の主張は目の前にある全ての証拠を矛盾なく説明できるかを何度も何度も反復検証します。当然、被告人自身にも証拠をよく検討してもらいますので、その過程で、被告人が自分の思い違いを発見したり記憶を呼び戻したりすることもあります。私は、ほとんどの事件においては、このプロセスを経ることによって、弁護人が被告人の主張について抱く疑問は解消されるものと考えています。

 結局、私たち弁護人は、目の前にある証拠によって裏づけられる事実に従って、淡々と弁護活動をするしかありません。弁護人は、決して真実を見抜く目を持っているなどという傲慢な考えを持ってはならないと思います。被疑者・被告人が語ることの全ては、最終的には証拠によって裏づけられる事実の中にきれいに織り込まれるはずです。そのためには、常に被疑者・被告人と向き合う必要があると思います。

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