本シリーズの第3回で勾留理由開示を取り上げた際、私はこの手続を「被疑者・弁護人が裁判官と直接対峙し、身体拘束の不当性を直接訴えることができる貴重な機会」と捉え、積極的に活用すべきだと書きました。

しかし、12年が経過した現在、自分自身の弁護活動を振り返ってみると、この勾留理由開示の手続を利用することはほとんどなくなっています。なぜあれほど意義を強調していた手続を使わなくなったのか。自分でも不思議に思うことがありますが、それは実務を重ねる中で、他の手段で十分に事足りているという現実に突き当たったからではないかと感じています。
例えば、取調べの違法性・不当性を指摘し証拠化したい場合、開示公判で意見を述べるよりも、捜査機関に対して即座に内容証明郵便で抗議文を送付する方が、迅速かつ確実に弁護側が抗議したという事実を証拠化することができます。
また、接見等禁止によって断たれた家族との連絡や外部交通を確保するためという目的についても、勾留理由開示を選択することには慎重になります。家族との外部交通であれば、正面から接見等禁止決定に対する準抗告を申し立てる方がはるかに筋が通っており、実効性も高いといえます。加えて、単に家族の顔を見せたいがために勾留理由開示を請求すると、被疑者を傍聴人がいる公開の法廷へ晒すことになります。今年4月から法廷で手錠・腰縄姿を晒す運用が改善され、以前より良くはなりましたが、それでもなお、家族や第三者の前で被疑者として晒される屈辱感は小さくありません。そこまでして勾留理由開示を選ぶ理由は見出しにくいといえます。
さらに、勾留理由開示公判で被疑者本人に意見陳述をさせることには、相応の弁護上のリスクを伴います。証拠をほとんど何も検討できていない捜査段階で不用意に発言させてしまうと、あやふやな内容の裁判官面前調書が作成され、後々の公判で弁護側に不利な証拠として用いられるかも知れません。本人の思いや主張を残したいのであれば、接見室で時間をかけて慎重に陳述書を作成し証拠化する方が安全かつ確実です。
こうして整理してみると、勾留理由開示を請求しなくなったのは熱意が薄れたからではなく、弁護方針の効率的選択とリスク管理の観点から、より効果的で被疑者の負担が少ない代替手段を選択するようになった結果だといえます。
しかし他方で、身体拘束に苦しむ被疑者にとって、裁判官の面前で極めて不十分ながら勾留理由を確認し自分の声で勾留の不当性を訴えるという憲法上の手続を効率やリスク管理の観点で切り捨ててしまってよいのか、悩ましさも残ります。手続の本来的意義と、現実的な弁護活動との間で葛藤しながら目の前の被疑者にとって何が最適な選択なのか、今も模索し続いています。
