悼む人

天童荒太さんの『悼む人』(文芸春秋)を読みました。先日、天童さんはこの本で直木賞を受賞されたので、本屋にも平積みされている話題作だと思います。私はちょっとひねくれているせいか、芥川賞・直木賞というと、逆に敬遠してしまうのですが、この本はとても印象深い内容でした。

ある若者が日本全国を旅しながら、事件や事故の現場を訪れ、その場所で亡くなった方を悼みます。そして、その若者を取り巻く3人の視点から物語は進みます。「エグい」記事を売り物にしている雑誌記者、末期ガンの母(若者の母)、夫を殺して服役した過去を持つ女性。若者を取り巻く人達は、若者に接しながら思い悩みます。若者はなぜ「悼む人」になったのか。偽善なのか、それとも信仰なのか。

人間にとって一番大切なことは、誰に愛され、誰を愛したのか、何をしたのか、それを誰かに覚えていて欲しいということではないでしょうか。若者はこう言います。誰かが覚えていてくれると思えば、肯定感になる。人の死に少し思いをはせることで、命の重さのアンバランスさが変わるはずです。

弁護士の仕事をしていると、色々な場面で「死」に出会います。交通事故で亡くなった方、遺言を残して亡くなった方、工事現場で亡くなった方、事件に巻き込まれて亡くなった方、本当に様々です。そして、「死」に至った理由は様々ですが、どの「死」にも亡くなった方の人生があり、その方と関係を持つ多くの人達がいて、その人達の色々な想いがあります。ところが現実を見てみると、大事件、特に著名な刑事事件で亡くなった方のことは大きく報道され、他方、ニュースバリューの小さな事件・事故で亡くなった方や、例えば闘病生活の末に亡くなった一般の方のことは、ほとんど関心を持たれません。もちろん、公平に報道すればよいという問題ではありません。しかし、私たちは、このような現代社会で生きているうちに、無意識に「死」の序列をつけているのではないでしょうか。

このように私が普段から感じていた疑問に対し、この本は考える素材を提供してくれたように思います。人の「死」を公平に扱う社会こそが、人の「生」を公平に扱う社会ではないか。弁護士として何かできることがないか、考えていきたいと思います。

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