裁判員制度(1)

 来年5月21日から、裁判員制度が始まります。5月21日以降に起訴された事件が対象となるようですから、公判前整理手続を行うことも考えると、最初に裁判員が参加する法廷が開かれるのは、早くても8月か9月頃でしょう。おそらく、私は裁判員が参加する法廷に弁護人として出席することになると思いますので、この制度には高い関心を持っていますし、実際に始まるとどうなるのか不安もあります。

 裁判員制度というのは、殺人、傷害致死、強盗致傷、現住建造物放火といった「重大犯罪」について、3人の裁判官と6人の一般の人達(裁判員)の合計9人で、その被告人が犯罪をやったかどうか、犯罪をやったとしたらどのような刑にするかを決める制度です。窃盗や交通事故といった身近な犯罪や、汚職や株取引に関する犯罪は、裁判員制度とは無関係です。アメリカの陪審制度が例に挙げられることもありますが、犯罪をやったかどうかだけでなく、刑まで決めてしまうところが陪審とは異なります。

 私は、刑事裁判に一般の人達が参加することには賛成です。確かに、一般の人達にとっては大変な負担になるかも知れませんが、一般の人達が刑事裁判をきちんとチェックして、自分達の問題として真剣に考えてくれることは大切だと思うからです。裁判所や検察庁といった国の機関は、一般の人達から厳しい目で見られると、問題点を改善するために自分から動き出すことがあります。例えば、密室での取調べが問題になったり、検察官が持っているのに裁判に出さない証拠が出てきたりと、最近、現に問題点を改善する動きもあるように思います。

 ですが、私は、今のままで裁判員制度を始めるのは、非常に危険なことだと思います。問題点を挙げればきりがないのですが、いくつか挙げると次のとおりです。

① なぜ殺人や強盗致傷といった刑の非常に重い「重大犯罪」だけを対象にするのか。一般の人達が参加するなら、むしろ窃盗や交通事故といった身近な犯罪から始めるべきではないか。

② 証拠を見ながら犯罪をやったかどうかを決めるというのは、一般の人達も、それぞれの経験に従ってやればできると思う。だが、一般の人達が被告人をどのような刑にするのか決めるのは、難しいのではないか。刑の重さを決めるには、刑罰とは何か、刑務所の実態はどうか、他の事件と比較して平等かといった、一般の人達が経験しない世界を十分に理解しなければできないはずだ。

③ 裁判員を経験した一般の人達が、評議した内容を外に漏らすと処罰されるというのは、行き過ぎではないか。裁判をより良くするには、むしろ、評議の内容を、後で大いに議論してもらったほうがよいのではないか。

 裁判員制度については、今後も何度かに分けて書こうと思います。

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