慚愧

 ここで述べることは、名張弁護団の見解とは関係なく、個人的見解であることを予めお断りしておきます。

 今から10年前の4月5日、再審開始決定が出て、一度、再審の扉が開きかけたことがあります。私は、すぐに小林修弁護士とともに名古屋拘置所にいる奥西さんと接見し、主文を伝えました。主文は「本件について再審を開始する。請求人に対する死刑の執行を停止する。」という2つの文章から成るものです。私達は、とにかく「再審開始」の四文字が嬉しくて、これを奥西さんに伝えることで頭の中が一杯でした。

 ところが、奥西さんは「再審開始」だけでなく「死刑執行停止」のほうにも強く反応されました。正確な言葉は忘れましたが、確か「これで今夜は安心して眠れますね。」というような話をされたのです。

 このとき、私は、自分の未熟さを思い知らされました。ああ、自分は安全な場所でのんびりと弁護士をやりながら、再審の弁護活動にも加わっています、といった生ぬるい心構えでやってきたが、そうしている間にも、目の前の弁護すべき人は毎日毎日死刑執行の恐怖と闘ってきたんだ。弁護士の感覚からすれば、これだけ激しく争っている再審事件で、いくら死刑確定囚だからと言ってそう易々と執行されないだろう、と高を括っていたが、当の本人はそんな安穏とした気持ちでいられるわけがない。そんな当然のことさえも、自分は推し量れなかったのか、と。

 その後も開きかけたと思ったらまた閉じる再審の扉。DNA型鑑定などで一発で開く他の再審事件を横目に、名張はああはいかないんだよなぁ。しかも相手はどうしようもない名古屋高裁だし、と暗澹たる気持ちになりました。奥西さん、申し訳ない。今の名古屋高裁は、判定勝ちではダメなんだ。本当はKO勝ちできる新証拠を見つけたいのだけれども、この事件の性質上、それはどうしようもない。手を替え品を替え、様々な理屈を並べ立てて再審請求を棄却する裁判所に翻弄されながら、白鳥・財田川決定の「建前」とは全く異なり、事実上、KO勝ちに近い判定勝ちを目指さなければならない実情。圧倒的な情報収集能力と天才的な閃きがあれば、それさえも乗り越えることができるのに。

 そもそも後輩裁判官に先輩裁判官の過ちを検証させるなんて、土台無理な話だから、一刻も早く再審のための第三者機関を作ってほしい、と願いつつも、取調べの可視化でさえあれだけ骨抜きにされてしまう今の日本社会に、そのような柔軟性を期待できるはずがなく、結局、現行制度の枠組みで闘うしかない現実。官僚と国会議員をもっと突き動かす力があれば、何とかなったのか。

 それにしても惜しかった。あと少しの努力、あと少しの運があれば、全てが上手く行っていたのではないか。開始決定が出るとき、もう一歩踏み込んで袴田事件のように拘置の執行を停止させるところまで持っていけなかったのか。前評判は良かった門野裁判長をもっと警戒すべきだったのではないか。差戻異議審の毒物鑑定において、別の科学者を鑑定人に据えることができなかったのか。ああすれば良かった、こうすれば良かった、の連続。

 しかし、再審請求は、今後、妹さんに引き継がれ、必ずや、徳島ラジオ商殺し再審事件の冨士茂子さんのように、奥西さんの名誉は回復されるものと確信しています。

 それにしても、奥西さん、本当に申し訳ない。慚愧に堪えません。

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