新しい判例タイムズ(No.1421)に、面会交流審判に関する判例(東京高裁H25.9.26決定)が掲載されています。
これは、面会交流審判において、原審が面会交流の内容や条件を具体的に定めることなく概括的に面会交流を許した審判を、審理不尽として原審に差し戻したものでです。
原審が概括的な面会交流を定めた理由は、(1)面会交流がほとんど実施されていなかったこと、(2)父母の協力態勢が構築されていないこと、(3)裁判所から試行的面会交流の実施を提案したが、母(監護親)の反対により行われなかった経緯があることです。
しかし、東京高裁は、父母に信頼関係が形成されておらず、面会交流の方法を任意で協議できないからこそ、裁判所において、面会交流の頻度、日時、場所、態様等について具体的に決定する必要があると判断しました。
そして、裁判所が具体的な決定を下すためには、「子に関する情報として、子の発達や発育の状況、性格や行動性向、日常的な生活日程等を、父母に関する情報として、心身の状況、経済状況、面会交流に対する理解の程度等を、さらには、面会交流に適した場所や引渡しの場所等の有無、面会交流の援助者の有無などについて可能な限りの情報収集し、これに基づき検討を行う必要がある。また、当事者間の紛争性が高い場合等は、これに子を巻き込まないように、当事者に最高裁判所作成のDVDを視聴させるなどして、面会交流に際して子の福祉の観点から親が心がけるべき事項に対する理解を深めさせるなど、調整的な働きかけを行う必要」であるのに、原審ではそのような情報収集が行われていないとして、原審に差し戻しをしたのです。
判例タイムズに記載された情報のみからの判断ですが、私はこの決定に賛成します。
面会交流事件においては、監護親の代理人になることもあれば、非監護親の代理人になることもあります。非監護親の監護親に対する態度に疑問を感じるケースもあり、面会交流実施原則論に対して異を唱える考え方に共感することもあります。
他方、原審のように、これまで面会交流が実現できなかった状況や、試行的面会交流が監護親の拒絶により行われなかったことを理由に概括的な面会交流審判に止めるのならば、非監護親が拒否し続けさえすれば、非監護親の思い通りになってしまうということになります。それでは、本当に子の福祉といえるのか疑問です。
どちらの側の代理人になったときにも、裁判所に審判をしていただくからには、あらゆる情報を基に、個々のケースに応じて詳細な検討をしていただきたいと強く思います。
この点、東京高裁の決定は、裁判所がなすべき事柄について、かなり踏み込んだ内容を示しています。裁判所の負担や責任が重くなりますので、裁判所の体制が十分に整っているといえるのか、社会的コンセンサスはあるのか、という問題はあると思いますが、方向性としてはこうあるべきではないかと思います。