ろうやのなかでも、自由でいられる?

先週の土曜日(4月9日)、ウィルあいちにて、八王子医療刑務所で昨年10月4日に89歳でお亡くなりになった、名張毒ぶどう酒事件の奥西勝元さんをしのぶ会が行われました。当事務所の鬼頭弁護士も、弁護団の1人として参加しました。

以前、このコーナーで、オスカー・ブルニフィエさんの子ども哲学シリーズ(朝日出版社)を紹介しました。そのシリーズの「自由って、なに?」という本に、「ろうやのなかでも、自由でいられる?」という問いがありました。

「想像したり、考えたり、夢みたりすることはできるから自由」と答えた子どもに対しては、「ろうやにとじこめられるのは、からだだけ?」「想像したり、夢みたり、それで人生を変えられる?」と、再度、問いが投げかけられました。

「自分の運命をうけいれて、希望をもちつづけられるなら自由」と答えた子どもに対しては、「わるくないのにしかられても、これがぼくの運命だから・・・なんて、思える?」「運命を変えようとせずに、希望をもちつづけることなんてできる?」と、再度、問いが投げかけられました。

私は、弁護団の一員ではありませんし、裁判の経過を把握しているわけでもありません。でも、このような人生を負われた方は果たして自由であったのだろうか、と考えると、何ともいえない悲しい気持ちになります。